現世だけの絆に、
荒廃の陰りが見えてきたのは、
死者たちとの思い出を
なくしたからではないだろうか。石牟礼道子

石牟礼さんが子どものころの水俣では、人が死ぬと、「無常の使い」と呼ばれる使者が縁者の家を回ったという。

 
「お果てになりました」「仏さまになられました」と口上をおろそかにしてはならない。
 
男も女も仕事を休んで葬儀の準備を行い、子供たちには「無常のごちそう」がふるまわれた。
 
家族だけでなく、村の共同体すべてが葬儀に参加し、つかの間の生死の共同体を共にしていた時代。
 
「死者たちは生者たちに、おのが生命の終わりを餞に残して逝くのである。葬儀はその絆を形にしたものだった」。
 
石牟礼さんは90歳の生涯を尽くされ、2018年2月にお果てになった。死者の言葉として今、生きてはたらく。
 
『無常の使い』(藤原書店)より

(文/豊田伸)

MONTHLY

今月の言葉

今月の言葉7

2019年12月4日、医師でペシャワール会現地代表の中村哲さんが亡くなった。 医療支援を目的にアフガンにわたるも、食糧難や紛争の惨状を目の当たりにし、「百の診療所より1本の用水路を」と、砂漠化した土地に水路を引き、潤う緑の大地がよみがえった。 「武器ではなく、いのちの水を」とはETV特集のタイトルであるが、銃弾に倒れた中村さんを思う時、憎しみではなく、私たちは何を大切にすべきか。あらためて問いたい。 中村さんは、クリスチャンであったそうだが、人と人とが認め合い、喜びを分かち合う世界を願うことに、宗教や宗派という垣根は越えられると信じたい。 ちなみ

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今月の言葉

今月の言葉6

ある日、東本願寺の渡り廊下を歩いていると、掲示されているこの言葉に足が止まった。 「私は学習会に行ったりしているが、その場に行ったことに満足してそこから何か変わっただろうか。ただの知識になっているのではないか」 前々から思ってはいたけれど、なるべく考えないようにしていた自分の心を言い当てられたような気がして、ぎくっとしたからである。 今まで何度も「生活の中で念仏するのではなく、念仏の上に生活がいとなまれる」と和田稠先生の言葉を講義などで、うんうんと頷きつつ聞いてきた。しかし、できていない自分に気づきはしても「あ~できないなぁ」で終わらせている私がいた。

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今月の言葉

今月の言葉5

この言葉は親鸞聖人がお亡くなりになる2、3年前にお弟子さんに対して「私はすっかり年老いてしまった為、きっとあなたよりも先に亡くなることでしょう。しかし、必ず浄土で待っています」とお話になった言葉だと言われています。 私の父は今年(2019年)亡くなりました。 父が亡くなってから「大切な人を亡くすことはこんなにも辛いのか…。辛いというよりも胸がしめつけられるように苦しい…愛別離苦の苦とはその通りだな」と思いながら何気なく本をめくっていると、この言葉に目がいき手が止まりました。 「待つ」という時には、その相手が「どうしているだろうか、もうすぐ来るだろうか」などと相手の

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